善悪のスキーマ相対主義

「悪い」という判定はスキーマ上で行われており、絶対的な悪はほぼ存在しない、という倫理的立場。

スキーマは社会・個人・種の三層が循環することで動的に生成される。社会規範が個人に学習され、個人が変形して社会に還元し、それが次世代のスキーマになる。収束先は固定されておらず、方向性にゆらぎがある。

判定の妥当性は「そのスキーマ内で、能力とプロトコルの範囲内で最善を尽くしたか」に依存する。能力を持てたのに持たなかった(怠慢)は悪さが発生しうるが、限界内で最善を尽くした場合は結果が悪くても悪とは言えない。

異なるスキーマ間の比較は記述できるが、超越的な裁定はできない。過去の行為を現在のスキーマで裁くのは適用範囲外のスキーマを無理やり当てはめることになる。

関連する立場

道徳的相対主義に近い。善悪は文化・社会によって異なるという主張は素直に受け入れられる。 ただし文化が完全にバラバラにならないのは、人間という種の行動様式が似ているためで、 そこから発生するスキーマにある程度の収束圧がかかるためだと思っている。 元のモデルでいう「種レイヤー」がそれに相当する。

帰結主義(結果で善悪を測る立場)とは部分的に重なるが、苦しさがある。 制約のある意思決定では帰結で動くことがあっても、それをそのまま社会善の基準にはできない。 全体最適と局所最適の間で揺れが残る。また結果ではなく「能力とプロトコルの範囲で最善を尽くしたか」が 判定の軸になるので、純粋な帰結主義とはズレている。

メタ倫理学(善悪という概念そのものを問う領域)が一番しっくりくる。 善悪を語る前にまず善悪を定義してほしい、という感覚が根底にあって、 このモデル自体がその問いへの一つの回答として機能している。

理解の機能主義的定義とも同じ認識論的傾向を共有している。

同質化と借り物の哲学 哲学・倫理規範