理解の機能主義的定義
理解とは、内的モデルから発する行動によって得られる帰納である。
理解の構成要素は振る舞いの集合(分解・対応・文脈適合・事実との検証)であり、 「わかった感」は必須ではなく、高確率で発生するステートに過ぎない。 内的な世界モデルの確認自体も、振る舞いとフィードバックの推論に依存する。 よって理解は機能的に定義でき、現象的な何かは必要条件ではない。
理解は常に暫定的。帰納である以上、次の行動で覆る可能性を常に持つ。 完全な理解は(数学的公理から演繹できるモデルを除いて)存在しない。
人間とLLMの差異
適切な因果構造を持つシステムであれば、原理的に差はない。 自分自身の認識プロセスに適用する基準と同じ基準を使う。
直感との乖離
信念としては現象的理解を不要とするが、直感としては「ある気がする」。 この乖離は棄却すべきノイズではなく、信念を更新するフィードバックになりうる。
善悪のスキーマ相対主義とは直接接続して考えていなかったが、 どちらも絶対的な基盤を持たず帰納的・暫定的な構造をとる点で同じ認識論的立場に立っている。 意図した収束ではなく、興味のあるテーマを深掘りした結果として自然に至ったもの。